「『やる』の多用 大変気になる」
最近、「やる」という日本語をよく見聞きします。例えば「演奏会をやる」「算数の授業をやる」などです。実際、「やる」という言葉には「行う」や「与える」など色々な意味があるのでとても便利です。
この「やる」という言葉は、会話にテンポを与える役目も果たしているように思います。電車や街の中で、恐らく友達同士だろうなと思われる人たちの会話に耳を傾けてみると、彼らの会話にはテンポがあり、その言葉はリズミカルに聞こえます。
会話のテンポ、リズム作りに一役買っているのが、この「やる」という言葉なのだろうと私は思っています。
その一方で「やる」という言葉の多用は、日本人の母国語の運用能力を低下させてしまうのではないかと心配もしています。
子供は大人の話を聞いて言葉と言葉の使い方を覚えるものです。子供の国語力の低下を嘆いている大人の皆さん、ご自身の会話から「やる」を減らしてみませんか。「やる」に置き換えられる言葉を探してみるのも楽しいですよ。
(44歳 女性 塾講師)
うんうん、ごもっとも、よくぞ言ってくれたと。この塾講師の先生に「おまいは俺か」と声かけたいくらいです。
というのも僕自身、高校の授業で現代文の先生から「『やる』は俗語だ」と教わりましてね。
それは確か「○○について、15字以上20字以内で答えなさい」といった設問の答えを議論していたときだったと思うのですが、多くの場合は「やる」よりふさわしい言葉があるはずだから使わないようにすべきだ、と。
確かに「やる」は字数も少なく広義に使えて便利ですが、それだけに安直過ぎるというか、急場凌ぎの言葉のように思えてきます。
言わば巨人のキムタクみたいなものでしょうか。どこでも守れて打順も何番でも打てるからシーズンに入れば重宝するのに、開幕スタメン予想には決して名前が載らない、みたいな(笑)。
とにかくそれ以来、なるべく他の言葉で表現するよう心がけていますね。便利なだけに話し言葉ではつい使ってしまいますが、せめて書き言葉では使わないように努めているので、このブログには滅多に登場しないと思います。
かと言って、何も難しい言葉に置き換える必要もなく、例えば「今日は野球でライトをやりました」ではなく、「今日はライトを守りました」「ライトの守備に就きました」などとする程度です。
それに「やる」のようなラクチンな言葉に身を委ねてしまうと、いずれ歳食ってから大真面目な顔で、
「例のアレは、アレしておきましたから」
などと言っちゃうオッサンになってしまいそうだし。って、コレはうちの上司が電話でよくやっているのですが。(←こういうときは「やる」がハマる。)
ま、僕は外国語がさっぱりなので、せめて母国語だけでも流暢に、品良く操れるようになりたいと日々願いつつ、今日もまたこうしてブログを綴るのでありました。チャンチャン。
「学校の先生を本気で好きになってしまった」という女子高生からの相談に対する、明川哲也氏の回答があまりにも秀逸なのでご紹介。
おめでとう。恋の季節がやってきたのですね。とぎすまされて、風の歌さえ聞こえるようになりますよ。せっかくですから、その思いを本物にしましょう。さめることのない、永遠の恋です。
そのためにはどうすべきか。それはあなたの思いを胸の中に秘めることです。
(中略)
でも、世にあるものはすべて等しい道をたどります。恋も同じ。赤いパプリカに切れ目を入れるがごとく、恋の種を外気にさらしてしまえば、つまり、ときめきを相手に告げたり、付き合いだしたりしてしまえば、恋は急激に変質していく。これを「恋の酸化」と言います。最悪なのは結婚で、あれは精神鍛錬のためにあるもの。恋という視点から見れば無残な粗大ゴミの日です。結婚式の参列者がお酒に酔うのは、しらふでは人の不幸を正視できないからです。(以下略)
記事全文はこちら(クリック拡大)。
なんという文才。あっぱれ。明川氏は友人の結婚式に参列し、祝福しながらこんなことを考えているんだとしたらナイス過ぎます。
ま、上(↑)にはオモロー!なところだけを抜粋して掲載しましたので、起承転結ってことでぜひ全文も読んでみてください。最後まで一気に読めちゃいます。僕にもこんな面白い文章が書けたらなぁ、なんて。
またの名を「ドリアン助川」の明川氏。この人の著書は読んだことがないのですが、きっと面白いんだろうなぁ。
「友近独断場」っちゅう、朝日新聞土曜夕刊に連載されている
友近姐さんのコラムの3月29日掲載分。
かれこれ2ヶ月前の記事なのですが、
イイコト言っている(共感できる)のでご紹介。
「リセット」は新しく進むために(抜粋)
人生がうまくいかない、と感じた時は、
今いる場所と環境だけがすべてと思わないでいて欲しい。
そして、実際そうなんです。
運良くうまくいってるときは、そこに建国する。
さらにうまくいったら国を広げる。
またうまくいかなくなったら、建て直すか、
それでもうまくいかなくなったら、
他の場所を探しにでかける。
でもまた行き詰まったら、
「いま貴重な経験してる!こんなん誰もできんことや!」
と得したことにしてしまう。
今、知っている場所なんて世界の中のほんの一部。
その中で喜んだり悲しんだり怒ったりしているのだ。
挫折を味わったことのある人のほうが、
長い人生の中で人間を理解するから、
優しさと厳しさがある。
気持ちを切り替える!
とにかく切り替える!
そうすれば新しい風が吹き始める。
いや、前から吹いている風に気付く。
「リセット」。
それは気持ちでするもの。
それは新しく進むための切り替え。
決してその手段に、
自殺や殺人を選ばないでほしい。
記事全文はこちら(クリック拡大)。
これ、3月下旬にJR荒川沖駅とJR岡山駅で立て続けに
無差別殺人事件が起きたことを受けて書かれたものです。
まったくもって同感です。特に
> 「いま貴重な経験してる!こんなん誰もできんことや!」
> と得したことにしてしまう。
このあたりは俺スピリッツそのものです。
キツイときはしょうがないから自虐的にその状況を楽しむ。
「うわ〜、なんでこんな面倒臭いの!?最高!」みたいな。
そうしないでツライことをいちいち真に受けていたら
人生しんどいです、たぶん。
もちろんクヨクヨするときもありますけどね。
でも自分の悩みなどちっぽけなものだと思うようにする。
できるだけ早く「もう一人の自分」を創って客観的に自分を見る。
そうして、マイナスなこともプラスに変換してしまう。
こんな考え方をするようになったのが20代半ばくらいからかなぁ。
それまでは何事にも完璧を求めていた気がするけど、
それからの自分と言えば座右の銘が「どうにかなるさ」だしね。
もう挫折することが前提。
山あり谷ありだから人生面白いってことで。
そう考え出してからの方が肩の力抜けて
前向きっちゅうか、プラス思考になりましたナ。
まぁ、こういう精神論は話し過ぎると
怪しげな香りがプンプンするわけですが、
押し付けがましくもなく
歯切れ良く言い放てる友近姐さんはなかなかだと思ったのでした。
その中から今日は朝日新聞2008年3月26日朝刊生活面の記事を紹介します。ある大学教授が現代の男女関係について語った記事なのですが、なかなか面白いのでぜひ読んでみてください。
男女関係がすごく退行しているなあ、年齢を問わず社会性がなくなった。(略)とにかく結婚に縛られている。しかも理想の結婚形態は一つしかないと思うから達成できないとストレスがたまって別れちゃう。結婚なんていろんなバリエーションがある。親族とのつきあいや経済的な関係も、無限に多様でいいはずだし、愛なんかちょっとあればいい。
いまの人が男女関係で苦しんでいるのは愛情の欠如じゃなくて、相互の敬意の欠如ではないですか。だんなの愛情がなくなったって?なくなったのは敬意なんです。
恋愛の初期にあって、その後、急速にしぼんでいくのは社会的人格に対するリスペクト。鉄道マニアであるとか、天文学が好きとか、自分とは違う社会観や趣味、嗜好に対して「くだらない」となる。いくらほかのところでベタベタ仲よくても、それを言っちゃ、おかしい。
なんでこの人にはこんなこだわりがあるんだろうと、あふれる好奇心と敬意をもって見つめる。理解できないけれど、いつも一緒にいたくて抱きしめたくなる。なぜか。自分の中にあるブラックホールと対応しているからですよ。
肝心なのは人間関係を理解と共感の上につくっていけないということ。つくろうとするから、みんなすぐ離婚しちゃう。
例えば結婚して5年、まじまじと横顔を見たら、何を考えているか分からない男がいた。「こりゃエイリアン(異星人)だ」って、ゾゾッとするわけ。それがおかしい。異物と暮らしているにきまっているんだから。人間は一皮むいたらエイリアン。その一皮のおかげで社会生活を営んでいられる。
そんな何考えているんだかわからない不気味な生き物と暮らせてすごいと、共生できる能力に感動すべきなんです。ぴたり理解して生活できるのが愛だと勘違いしているから、ちょっとでも異物だと感じると、我慢できなくなる。幻である「100%の理解」が成立する関係を求めてしまう。
つきあうほどに底知れぬわからない人だと互いに見えてくる。1日、1週間、1年とつきあっていくほどに、理解できる部分より理解できない部分のほうが多いことに気づいていく。それこそが人間関係の一番深いところじゃないですか。金婚式まできたけどわからなかった、じゃ、別れようって、論理的に逆ですよ。
ずっと一緒にいるから言葉なんかいらないと思ったら、ダメですよ。どんどん言葉が増えてくるはず。これまで使ったことがないような語彙で語りかけないと。相手のことをわかっているとたかをくくっちゃうのが一番怖いんです。
「あなたの言いたいことはよくわかったわ」っていうのは別れのときのセリフでしょ。だから、わかっちゃいけないんです。女と男を漢字1文字で表せば「謎」。ミステリーは大事だよ。
語り手は神戸女学院大学教授の内田樹さん。
いや、もうね、耳が痛いというか、思いっきり身に覚えがあるというか。それでいて目からウロコであり、痛快であり。「人間関係を理解と共感の上につくらないこと」なんて、この人、天才なんじゃないかと。え?当然そういうものですか?そう思えるあなたはすごいですよ。
つきあいが長くなればなるほど、理解できない部分が増えることを受け入れる。理解できないところが増えれば増えるほど相手に敬意を払う。リスペクトする。
うーむ、敬意か。
敬意って、何かね?(by 菅原文太)
しかし、敬意の上に成り立つ人間関係というのは尊いものではあれど、心がけ一つで成立させられることでもないよねぇ。それに相手はエイリアンだと思いつつ、無関心になってもいけないわけだ。そして、わかっちゃいけないけど、敬意は持たなければならない…。
あー、もう!!ε=ヽ(`Д´)ノ=3
どうしたら敬意を持てるのか考え出したら頭から煙が出そうになったから、やめにしとこうね(´・ω・`)ショボーン つべこべ言わずに相手を尊重しなさいってことですね。

「ごはん一緒に食べようね」という見出しがついた、ニッポン人・脈・記「食卓のメロディー(8)」の記事である。
かれこれ25年前のことらしいが、小学生におそらく「わが家の食卓」とかいうテーマで絵を描かせたのだろう。そうしたら小学4年生の男の子がこんなショッキングな朝食の光景を描いたそうだ。

『目も口もない自分が、ひとり。食卓には、ゆうべの残りのカレーと麦茶。テレビのニュースは。校長先生が自殺、とやっている』
小学生にして自分の顔に「自分」と書いてみたり、そもそも一人称が「自分」だったりと少なくとも大らかな子供でなさそうで、同時にスプーンには「スプーン」、カレーには「カレー」、麦茶には「むぎちゃ」、テレビには「テレビ」と書き、食卓はきちんと定規を引いて描いているなど、かなり几帳面というか、一見、遊びのない性格のようにも見える。
しかし、そんな彼が絵の中で意外な一面を見せているのだ。

マジで何ですか、コレ…。
スプーンもカレーも麦茶も、十歩譲ってテレビくらいまではかろうじて説明抜きでも理解できるでしょう。しかし何ですか、コレは?コレこそ要説明ぢゃないんですか?
何だか分かる人、いや、分からなくてもいいのでどなたかこれが何だか教えてやってください。僕には皆目見当がつきません…。
(相談)
私は友人との縁を大切にする方です。言い換えれば寂しがり屋なのですが、親しい友人と縁が切れそうになると、気になって私の方から相手に連絡します。しかし逆のパターンはないので何だかむなしいです。もっと割り切った強い性格になるべきでしょうか?そうなるにはどうすればよいでしょうか?
(福岡県 フリーター女性 35歳)
皆さんならこんな相談を受けたら何と答えますか?これだけの短い文章とわずかな肩書きからも、この相談者にはいろいろと問題がありそうなことは分かりますが…。
これに対する室井佑月さんの回答がヨカッタです。
(回答)
あなたは35歳にもなって、友人に何を求めているのでしょう。小学生時代のように、一緒にトイレにいく相手でも求めているのでしょうか。
あなたは年齢から考えると、とても幼い。友人うんぬんということより、あたしはそこが気になって仕方ない。なぜそれが悩みなの?
だいたい大人になったら、友人とはそんなにしょっちゅう会ったり、話したりはしないものです。まじめに生きていたら、忙しくてそんな暇はない。
当たり前ですが、みんな自分の人生がいちばん大切、自分の人生を一生懸命に生きている。あなたも友人がどうとかいう前に、まず自分のことを考えてみたらいかがでしょう。
あなたは35歳でフリーター。今後、どういう風に生きていきたいと思っているのですか。強くなるなら、まずそこの部分。現実の自分と向き合う強さを持って欲しいと思います。
いい年をして生き方や考え方の確立していない人間のどこを取って、「好ましい。友人になりたい」という人が現れるというんです?自分のない人間を相手にするほど、つまらないことはない。それは見たくもないテレビをぼんやりと眺めているようなもの。ただの時間つぶしの相手を、友人とはいいません。一日も早く個人として確立し、すてきな友人をつくってください。
(作家)
好ましい。友人になりたい、室井さんと(笑)。
そもそも相談自体がかなりしょーもなくて(このコーナーはわりといつもそうなんだけど)、それに対して「あなたが無個性ゆえ魅力がないのよ」というごく当たり前のことを言っているわけですが、これほど分かりやすく、しかも相談者の目を覚ますようにビジッと言ってくれると痛快ですな。この人の言っていることに毎回賛成というわけではないけれど、読み物として心地良く読めますしね。さすが物書き、天晴れです。
僕もこういう共感を呼べるような文章を書きたいものだ。


